平家の伝統 湯西川温泉の由来

都落ちした
平家…

壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人、平重盛(しげもり)公の六番の王子の忘れがたみ平忠実(ただざね)公は、家臣と共に宇都宮朝綱(ともつな)公を頼り、関東へ下ったのでございます。

宇都宮

宇都宮へ寄寓すること約一年、鎌倉方の平家追討令がいよいよ厳しくて、朝綱公の厚意に甘んじることあたわず、忠実公は家臣と共に世を忍び、川治の最高峰鶏頂山に身を隠し、敵をさけての生活を余儀無くされたのでございます。

都落ちした平家…

先祖の悲運を追憶して

折も折、一族の者の婦人が男子を出生皆々不遇の内にも祥事と喜び、時も端午の節句に当たり、のぼりだけでもと残り布を合わせてのぼりに仕立て、五月の空に祝える折から平家の残党を血眼に探す源氏の目にふれ、地の利も悪く一族の多くは深手を負って渓流伝いに湯西川に至り、その附近見通しのよくきく「うすの平」に逃れたのでございます。

端午の節句

今でも湯西川村落の人々や又ゆかりの人々は、端午の節句には古事を偲び先祖の悲運を追憶して鯉のぼりを立てないのでございます。
又、時を告げる鶏も飼わないのでございます。

先祖の悲運を追憶して

温泉の発見、
宝物を子孫へ

そして一族は、人目をはばかり猟を生計に暮らしていたのでありますが、ある日忠実公は山を降り川岸を散策する折、そこに温泉の湧き出るのを発見して驚き且つ喜び、温泉の湧き出る所ならば子孫の内誰か掘り起こす事必定と、由緒深き伝来の宝物、武具、鎧、兜等を秘かに埋め、その後も温泉の事を漏らさず一族と共に不自由を忍び、深山の生活に甘んじ続けたのであります。

温泉の発見、宝物を子孫へ

時は流れ、宝物を発見

越えて天正元年忠実公より十一代目の時、雪が降っても降っても積もらない所を発見し見れば地下よりこんこんと温泉が湧き出ているのではありませんか。
ここを堀り起こさんとしているうち、傍らより次々と多数の宝物が発見されたのでございます。
先祖達が、きっと安住の地であるからと教えてくれているのだと、感謝の気持ちで穏やかな日々を過ごしたのでございます。

時は流れ、宝物を発見

受け継がれる伝統

当時、猟によって得た熊、鹿、山菜、川魚等を川原の焼石で食した料理「平家石焼」に
因んで今でもこの独得の料理「お狩場焼」等の習慣が残っているのでございます。

受け継がれる伝統

受け継がれる伝統

そして、

その後川岸、川の中より多量の源泉が発見され、その湯量の豊富さを誇っております。
当湯西川温泉には平家塚、高房神社等幾多の古跡が点在し当時の面影が偲べ、
六月上旬には平家大祭が催される等、今尚伝統が受け継がれているのでございます。

そして、今

そして、今

そして、今

そして、今

そして、今